弁天町駅周辺の歴史

弁天町駅は、昭和 36年にJR大阪環状線(当時は国鉄)の全通とともに開業しました。江戸時代の元禄年間に開墾された新田に由来して、弁天町駅一帯の地域は「市岡」と呼ばれていたようですが、既に国鉄に市岡駅(岡山県新見市)が存在したため、駅の近くにあった波除小学校付近の町名であった「弁天町」から採られたそうです。
そして、弁天町という名は弁才天(弁財天)に由来します。弁才天は、七福神の一員として知られていますが、元来古代インドの河の神様であることから、水に縁の深い神として信仰されていました。市岡新田の辺りは、堤防の決壊により潮水で田畑が荒廃するなど再三の水害に悩まされており、これを鎮めるために水に縁のある弁才天が祀られていたと伝えられています。昭和2 年には弁天町駅周辺に「弁天町」という町名が設けられ、今では大阪環状線西側を「弁天」となっていますが、波除公園内(大阪市港区波除)の跡地には、記念碑が残されています。
大阪は、かつて豊臣秀吉によって大阪城を拠点に城下町として発展しており、弁天町駅周辺は「古き良き大阪の町」と言った感じで、古い家も多く残っています。最近では、梅田や大阪駅へも近いことから新たな住環境の魅力が見直され、高層マンションなども増えていますが、比較的家賃が安く、住みやすい町と言えるのではないでしょうか。弁天町駅から連結通路で直結するORC200(オーク)もあり、銀行や郵便局だけでなく様々なスクールも開校されていて、生活に便利な地域となっています。